モンテカルロの世界選手権から帰ってきました。
私の最終成績はコンソレーション2のベスト4で終わりました。
準決勝ではGareth Owen という相手に敗れるのですが、この試合では最後まで相手を掴むことなく終わってしまいました。
掴む、というのは点数ではなく、プレイヤーとして相手を捉える、ということです。
テイカーなのかパッサーなのか、どういうゲームが好きでどういうゲームが嫌いなのか、傾向は何なのか、
バックグラウンド、弱点、といったことです。
ゲームなので盤上が90%、盤外の要素は10%ぐらいですが、私はそういった周縁の要素を
試合に編みこんでいくのが好きなのです。
しかし、試合中はよく分からずにアクションをしていました。
後で棋譜、ビデオ、感想戦等をして反省したところ、相手がテイカーである事やピップカウントが
苦手なことなどが明らかにわかりました。ゲーム中に気付けていたらまた全然違った展開に
なったはずで、非常にくやしいです。
彼は会場でよくシュエットをしていたので1時間でも観戦していればわかったはずです。
また、相手を捉えるまではリスクを避けようと、1ゲーム目に4倍キューブを打たなかったのですがこれは明らかに損でした。
盤上90%なのに、盤外の事を考えすぎて盤を見る目が曇ってしまっていたようです。
確実なことはなにもないのですから、期待値の高いところで勝負にいかなければ自分のエッジは見えない所で失われてしまいます。
降りる可能性もあったはずです。
時間が無くなったことも非常にマイナスに作用しました。
一方的に難しいゲームになり、しょうがないところもあったのですが、結果的に盤上・盤外両方でダメになってしまいました。
常にAゲームでやれるわけではないのですが、この準決勝に関してはCゲームになってしまいました。
今思えば入賞したことで、ここ一番への意気込みが薄れていたと思います。悪い意味で勝ち慣れしてしまい、
ハングリー精神を失っていたようです。落ちるときはすぐ落ちるのに。
いや、結果が落ちる落ちないじゃなくて、もともと強くなりたくてバックギャモンをやっていたはず。
そのための努力レベルが下がっていました。
自分は弱いので、努力するにはライバルや結果が必要で、最近はそのライバルが少なくなり、結果が出てしまっていました。
社会も自分にその他の役割を多々要請してきます。その他の役割だけで人生2回はやれるでしょう。
また、私が強くなろうがなるまいが、私以外にだれも差は分からない。
だから、外的刺激のみに頼るとあっというまに今回のようにサボってしまうわけです。
もう一度自分の内的刺激を喚起しようと思います。
バックギャモンの練習はほとんどが退屈・苦痛だけど、知的快楽も多々あります。
なにより階段を昇れた時のあの至福の瞬間に優るものはちょっとほかに見つからない。
もう何年も登ってないけど、もう数段はあるはず。
私の最終成績はコンソレーション2のベスト4で終わりました。
準決勝ではGareth Owen という相手に敗れるのですが、この試合では最後まで相手を掴むことなく終わってしまいました。
掴む、というのは点数ではなく、プレイヤーとして相手を捉える、ということです。
テイカーなのかパッサーなのか、どういうゲームが好きでどういうゲームが嫌いなのか、傾向は何なのか、
バックグラウンド、弱点、といったことです。
ゲームなので盤上が90%、盤外の要素は10%ぐらいですが、私はそういった周縁の要素を
試合に編みこんでいくのが好きなのです。
しかし、試合中はよく分からずにアクションをしていました。
後で棋譜、ビデオ、感想戦等をして反省したところ、相手がテイカーである事やピップカウントが
苦手なことなどが明らかにわかりました。ゲーム中に気付けていたらまた全然違った展開に
なったはずで、非常にくやしいです。
彼は会場でよくシュエットをしていたので1時間でも観戦していればわかったはずです。
また、相手を捉えるまではリスクを避けようと、1ゲーム目に4倍キューブを打たなかったのですがこれは明らかに損でした。
盤上90%なのに、盤外の事を考えすぎて盤を見る目が曇ってしまっていたようです。
確実なことはなにもないのですから、期待値の高いところで勝負にいかなければ自分のエッジは見えない所で失われてしまいます。
降りる可能性もあったはずです。
時間が無くなったことも非常にマイナスに作用しました。
一方的に難しいゲームになり、しょうがないところもあったのですが、結果的に盤上・盤外両方でダメになってしまいました。
常にAゲームでやれるわけではないのですが、この準決勝に関してはCゲームになってしまいました。
今思えば入賞したことで、ここ一番への意気込みが薄れていたと思います。悪い意味で勝ち慣れしてしまい、
ハングリー精神を失っていたようです。落ちるときはすぐ落ちるのに。
いや、結果が落ちる落ちないじゃなくて、もともと強くなりたくてバックギャモンをやっていたはず。
そのための努力レベルが下がっていました。
自分は弱いので、努力するにはライバルや結果が必要で、最近はそのライバルが少なくなり、結果が出てしまっていました。
社会も自分にその他の役割を多々要請してきます。その他の役割だけで人生2回はやれるでしょう。
また、私が強くなろうがなるまいが、私以外にだれも差は分からない。
だから、外的刺激のみに頼るとあっというまに今回のようにサボってしまうわけです。
もう一度自分の内的刺激を喚起しようと思います。
バックギャモンの練習はほとんどが退屈・苦痛だけど、知的快楽も多々あります。
なにより階段を昇れた時のあの至福の瞬間に優るものはちょっとほかに見つからない。
もう何年も登ってないけど、もう数段はあるはず。